160th Special Operations Aviation Regiment (Airborne)・160th SOAR
第160特殊作戦航空連隊(空挺)
160th SOARは、夜間飛行テクニックのパイオニアであり、暗視ゴーグルを装着して夜の闇にまぎれて飛行することが多いため、ナイトストーカーズという別名でも知られる。ナイトストーカーズは、なにがあろうと予定時刻と30秒以内の誤差で到着すると請け合っていて、これはめったに破られることはない。ナイトストーカーズの公式のモットーは、「ナイトストーカーズはあきらめない “Night Stalkers Don’t Quit “」としている。
アメリカ陸軍の第160特殊作戦航空連隊(空挺)・160th SOARは、1980年、イラン革命防衛隊に占拠されたテヘランのアメリカ大使館から、人質を救出しようとしたイーグル・クロー作戦が大失敗に終わったあとに創設された臨時航空部隊から誕生した。160th SOARのルーツは、イランで囚われたアメリカ人人質を再度、救出するために、第101空挺師団の兵士で編成されたTask Force 160(第160任務部隊)である。
アメリカの統合作戦コマンドJSOCが1980年11月に創設され、Task Force 160は、デルタフォースとSEAL Team 6とともに、新設のJSOCに配属された。そして何度か改称された後、1990年に現在の第160特殊作戦航空連隊(空挺)160th Special Operations Aviation Regiment・160th SOARとなった。
ちなみに、デルタフォースの創設メンバーだったエリック・ヘイニーの自著によれば、イーグル・クロー作戦が大失敗に終わったあとに創設されたのは、統合作戦コマンドJSOCとTask Force 160(のちに160th SOAR)、それとデルタフォースが記録を残すようになったことと耐火強襲スーツを考案して作ったことだという。
160th SOARは、4つの作戦大隊と、連隊本部、訓練部隊で編成されている。4つの大隊は、それぞれ特定の機種のヘリコプターを専門に運用している。第1大隊にはAH-6M 武装型リトルバードの1個中隊と特殊部隊員を機体の外で運ぶことができるMH-6M輸送型リトルバードの1個中隊、そしてMH-60Mブラックホークの3個中隊がある。第2大隊は重量物運搬分隊のMH-47Gチヌークの2個中隊、第3と第4大隊はMH-47Gチヌークの2個中隊とMH-60Mブラックホークの1個中隊を有している。ちなみに第4大隊は、イラクとアフガニスタンで同時進行する作戦の要求に応えて、2006年に追加されている。4つの大隊には、司令部と本部中隊と整備中隊がある。
ナイトストーカーズになるためには、最初の一歩として、評価・選抜・訓練であるグリーン・プラトーン(Green Platoon)を修了しなければならない。グリーン・プラトーンは3週間のコースであり、肉体的にも精神的にも厳しいもので、部隊の特殊作戦の任務を中核に据えて設計されている。グリーンプラトーンを終えたら、Aquatics Training→Basic Skills→Advanced Skills (BMQ)→OPTIONAL Advanced Trainingの順に学ぶことになる。
160th SOARは、1980年以降のアメリカが実施した特殊作戦のほぼすべてに関わってきた。グレナダ、パナマ、イラン、ペルシャ湾岸、ソマリア、アフガニスタン、イラクなどに投入されてきた。投降したフセインを運び出したのも160th SOARのMH-6リトルバードだった。
アフガニスタンでの飛行は困難を極め、アメリカ本土で飛ばしていたのはせいぜい高度900メートルだったが、アフガニスタンでは、低空でも高度3000メートルで飛行していたという。ナイトストーカーズのパイロットたちは、ドスタム将軍の陣営に補給品やCIA工作員を運ぶ当初の任務でも、始終低酸素症を経験していたという。
1993年にはタスクフォース・レンジャーに加わって、ソマリアのモガディシオに展開し、2機のMH-60ブラックホークがRPGで撃墜され、さらに2機が大破して、かろうじて基地に帰投した。著書や映画で有名になったブラックホークダウン。この時、2機目の墜落したブラックホーク、スーパー64のパイロットだったマイク・デュラントは負傷し、囚われの身となったが、デュラントの妻ロリーが、ラジオのBBCでナイトストーカーズのモットーである”Night Stalkers Don’t Quit “の4つの頭文字を復唱して励ました。デュラントの目に涙が浮かんだ。それから5日後にデュラントは解放された。この話は、最初にデュラントから家族宛に書かれた手紙の最後に「N・S・D・Q」と記されたものだった。デュラントの家族宛の手紙は、国際赤十字が管理していたので、そのイニシャルが、暗号化されたメッセージかもしれないと考え、赤十字の厳正な中立を保ために、削り取られていた。しかし、それでも読むことができて、翌日のラジオのBBCでの妻ロリーの「N・S・D・Q」発言となる。デュラントはナイトストーカーズで経験豊富な古参パイロットで、湾岸戦争とパナマでのアシッド・ギャンビット作戦の際に危険な夜間低空飛行任務を行なっている。
部隊はアフガニスタンを離れたことは一度もなかったが、イラク情勢が落ち着くと、再びアフガニスタンに注力し、2005年には、損害の面で最悪の日を経験した。SEALsの4人組偵察チームが「レッド・ウイング」作戦で、タリバンの高価値目標の痕跡を探している途中、アフガニスタンのヤギ飼いに見つかって厄介な状況におちいり、まもなく数で圧倒するタリバンの武装集団に攻撃されてしまう。SEALsの1人の隊員が、遮蔽を出て高地に向かい、衛星電話でQRF(緊急対応部隊)を命とひきかえに要請した。
8名のSEALsと8名の160th SOARからなるQRFは、MH-47Eチヌークでこの地に急行し、SEALsの4人組偵察チームの当初の潜入地点に到着するが、タリバンの待ち伏せを受けてしまう。ヘリコプターが着陸のため降下中に、RPG弾が後部の開いたランプから飛び込んできて、数名のオペレーターがチヌークから吹き飛ばされた。160th SOARのパイロットは果敢にヘリコプターを空中にとどまらせようとしたものの、山腹に墜落して爆発し、搭乗者は全員死亡した。この「レッド・ウイング」作戦はのちに書籍化され、その映画化で有名になる。
2014年7月4日、シリア北部では、機密の「複合」人質救出任務が開始され、ISISにより辺鄙な土地に拘束されたアメリカ人人質数名の救出が試みられた。夜間の作戦はJSOC部隊のオペレーターからなり、デルタ強襲オペレーターの4人組チーム数個を中心としたもので、レンジャーのセキュリティー・チームが支援し、ヨルダンの特殊部隊が1人、通訳として同行してという。作戦には、固定翼機と監視航空機の他に、160th SOARのサイレントホーク型と、数機のMH-60L直接行動侵攻機も加わっていたと指摘されている。
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