クレイ (コンピュータ企業), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=344832 / CC BY SA 3.0
#クレイ
クレイ・インコーポレイテッド (Cray Inc., NASDAQ: CRAY) は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルのスーパーコンピュータ製造企業である。
その前身であるクレイ・リサーチ (Cray Research, Inc., CRI) は1972年にコンピュータ設計者シーモア・クレイによって設立された。
1989年、シーモア・クレイは自身の会社クレイ・コンピュータ (Cray Computer Corporation = CCC) を別に設立したが、こちらの会社は1995年に倒産している。
1996年、クレイ・リサーチはSGIに買収された。
2000年にテラ・コンピュータがSGIからクレイ・リサーチを買い受け、テラ・コンピュータとクレイ・リサーチが合併してクレイ・インコーポレイテッドとなった。
2019年にヒューレット・パッカード・エンタープライズ (HPE) に買収され、公開会社からHPEの子会社となった。
ちなみに、かつての親会社であったSGIも2016年にHPEに買収されている。
シーモア・クレイは1950年にコンピュータ業界で働き始めた(このあたりの経緯についてはコントロール・データ・コーポレーションの項も参照されたい)。
まず ERA (Engineering Research Associates) で ERA 1103 の開発に携わった。
ERAはUNIVACの一部となり、徐々に縮小される。
1960年、クレイは会社を辞め、数年前にERAの同僚らが設立したコントロール・データ・コーポレーション (CDC) に参加。
しかし数年後、自身の研究所を故郷のウィスコンシン州チッペワフォールズに設立し、CDCから設計開発を請け負う形となった。
CDCでは、CDC 6600 や CDC 7600 といったコンピュータを設計し成功を収めた。
Cray-2 スーパーコンピュータ 1960年代末、CDCは財政難に陥り、クレイが開発中だった CDC 8600 への開発資金が不足するようになった。
1972年、プロジェクトの中止が決定されると、クレイは自身の会社クレイ・リサーチを設立した。
研究開発拠点はチッペワフォールズで、本社はミネアポリスに置いている。
同社の最初の製品 Cray-1 スーパーコンピュータは大きな成功を収める。
当時世界最高速のコンピュータとなった。
最初のシステムはリリース後1カ月で880万USドルで売れている。
その後、シーモア・クレイはさらにCray-2を開発したが、出来上がってみると社内の別チームが設計したCray X-MPより若干高速という程度であった。
彼は即座にCEOを辞し、独立した契約技術者という立場になる。
1979年、Cray-2のための新たな研究所Cray Labsをコロラド州ボルダーに設立した。
この研究所は1982年にいったん廃止されたが、1989年にクレイ・リサーチからスピンオフし、クレイ・コンピュータ (Cray Computer Corporation、CCC) となった。
シーモア・クレイはそこでCray-3プロジェクトに携わる。
初めてガリウムヒ素 (GaAs) 半導体をコンピュータに使用する計画だった。
しかし政治情勢が変わり(ワルシャワ条約機構が崩壊し、冷戦が終わったため)、Cray-3はほとんど売れなかった(実際に納入されたのは1台だけである)。
クレイ・コンピュータは急激に傾き、1995年に倒産した。
クレイ・コンピュータの残されたものからシーモア・クレイ最後の会社SRC Computerが設立され、こちらは現在も残っている。
クレイ・リサーチはスティーブ・チェンの設計したX-MPから始まったシリーズを開発し続けた。
スティーブ・チェンが同社を去った後、Cray Y-MP、Cray C90、Cray T90と開発していった。
これらのマシンは基本的にCray-1を複数台内蔵しているようなアーキテクチャである。
X-MPは2~4台、後のマシンでは最高32台である。
また、クロック周波数を高くし、ベクトルプロセッサの幅を拡大している。
Cray-2プロジェクトが頼りない結果で終わったため、Crayの命令セットを利用した低価格な擬似Crayを作る企業が出てきた。
Scientific Computer Systems (SCS)、American Supercomputer、Supertekなどがそれである。
これらはクレイと対抗するという類のものではなく、もっと安価で低性…
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